🌾 はじめに ― 炎のゆらぎに宿る想い
夜の静けさの中で、ふと目に入る小さな光。
風に揺れながらも決して消えないその炎には、どこか懐かしさがあります。
竹灯籠(たけとうろう)。
それは、竹という自然の素材と、人の手によって生まれた光の器。
祭りや行事の場で目にするその灯りは、単なる装飾ではありません。
竹灯籠には「祈り」「鎮魂」「再生」――日本人が古くから大切にしてきた精神が宿っています。
夜の闇にぽっと浮かぶ竹の光。
それは、過去と現在、そして未来を静かにつなぐ“人の祈りのかたち”です。
🕯️ 灯籠のはじまり ― 火を神とした時代から
竹灯籠の原点をたどると、古代の“火への信仰”に行き着きます。
日本では、火は古くから「神聖なもの」とされてきました。
『古事記』にも「火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)」として火の神が登場します。
火は災いをもたらす一方で、生命を温め、闇を照らす存在――人々にとって「神」と同じほどの敬意を持って扱われてきました。
仏教が日本に伝来した奈良時代以降、寺院では“灯明”をともす習慣が広がります。
灯明とは、仏に供える灯りのこと。
「灯を供えることは、心を供えること」という教えのもと、夜通し灯を絶やさない“常灯明”も多くの寺で行われてきました。
一方、神社では“御灯祭(みあかりまつり)”や“献灯”と呼ばれる行事が各地に残り、
夜の闇を照らす光が「神を迎える合図」とされました。
このように、火を灯すという行為自体が“祈り”であり、信仰そのものだったのです。
🎋 竹と火の出会い ― 素朴な素材が生んだ光の器
では、なぜ“竹”が灯籠の素材に選ばれたのでしょうか。
竹は古くから神聖な植物として扱われてきました。
まっすぐに伸び、節を重ね、空洞を持つ。
その形が「清らかさ」「誠実さ」「天と地をつなぐ依代(よりしろ)」を象徴しているからです。
また、竹は火を柔らかく透かす特性があります。
竹筒に穴を開け、そこに火をともすと、竹肌からやわらかい光がこぼれます。
それは、炎の輪郭を包み込むような穏やかさ。
土の灯籠や石の燈籠と違って、竹の灯籠には“人の温度”がある――そう言われるのも、この特性ゆえでしょう。
時代が進み、電気が普及しても、竹灯籠の人気が衰えないのは、
この「自然の素材が生む光の質」が、人の心に響くからなのです。
🌿 再生の象徴 ― 災害と祈りの光
竹灯籠が「再生」の象徴として広く知られるようになったのは、1990年代後半から。
その背景には、**阪神・淡路大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)**といった大災害がありました。
多くの人が命を失い、町が沈黙に包まれたあと、
人々は“光”を通して再び希望を取り戻そうとしました。
兵庫県神戸市の「1.17のつどい」では、竹灯籠が追悼の灯りとして並べられます。
竹の筒に込められた一つひとつの灯りが、亡くなった人々への祈りと感謝を表しています。
(参考:神戸市公式サイト「1.17のつどい」)
また、東北でも震災後に竹灯籠を使った追悼行事が増えました。
光が並ぶ道を歩く人々の姿は、悲しみを超え、再び歩き出す象徴として今も語り継がれています。
竹は一度切られても、根からまた新しい芽を出します。
だからこそ、**竹灯籠の光は“再生の象徴”**とされるのです。
🕊️ 灯りが結ぶもの ― 人と自然、過去と未来
竹灯籠祭りの現場に行くと、誰もが穏やかな表情になります。
炎の揺らぎを見つめながら、隣に立つ人と自然に言葉を交わす。
そんな静かな時間が、現代では少し贅沢なものになりつつあります。
竹灯籠の魅力は、ただ「美しい」だけではありません。
光を介して“人と人”、“人と自然”がつながること。
その根底には、「いただいた命(竹)を使い切る」という意識があります。
放置竹林の問題を解決するため、伐採された竹を“灯り”として再利用する。
それが、命を次につなぐ行為として多くの地域で支持されています。
熊本市の「みずあかり」(2004年〜)や、大分県竹田市の「竹楽」(1999年〜)など、
竹灯籠を使った祭りの多くが、この“再生の思想”をもとに始まりました。
火を灯すことで、竹の命をもう一度輝かせる――。
その優しいサイクルこそ、竹灯籠文化の核心なのです。
🌕 竹灯籠と環境 ― 灯すことが森を守る
近年、竹灯籠は環境教育の教材としても注目されています。
竹は成長が早く、放っておくと森を覆ってしまう“強い植物”。
このため、竹林の管理が追いつかず、「放置竹林問題」が全国的な課題となっています。
そこで、竹を切り倒すだけでなく、**新しい命として“灯りに変える”**動きが生まれました。
熊本県を拠点に活動する**CHIKAKEN(ちかけん)**はその代表格。
彼らは「竹あかり」をテーマに、全国各地でアートイベントをプロデュースしています。
(参考:CHIKAKEN公式サイト)
伐採された竹を灯籠に加工し、光のインスタレーションとして再利用する。
それは単なる“再利用”ではなく、「自然と人との新しい共生の形」です。
また、近年ではLEDライトを使う竹灯籠も増えています。
環境負荷を減らしつつ、安全に長時間灯すことができるため、
自治体や学校の行事でも採用されるケースが増加中です。
光をともすことが、森を守る。
竹灯籠は、まさに“エコと伝統が調和した灯り”なのです。
💫 豆知識 ― 「竹灯籠」の語が生まれたのは?
実は「竹灯籠」という言葉そのものは、古代からあったわけではありません。
近代以降、地域の祭りやイベントで竹を素材にした灯籠を使うようになり、
そこから「竹灯籠」「竹あかり」「竹宵」などの名称が生まれました。
最も古い文献記録としては、明確な定義がないものの、
1990年代後半から各地の自治体・観光協会で“竹灯籠”の名称が使われ始めたことが確認されています。
このことからも、竹灯籠は“新しい伝統”ともいえる存在。
古来の灯明信仰を継ぎながら、現代の社会課題や美意識に寄り添う形で進化してきたのです。
竹の灯りが、いつ、どんな想いから始まったのか――
その“はじまりの物語”を知ると、今の竹灯籠がもっと深く見えてきます。
👉 竹灯籠祭りとは ― 始まりの物語と、今も続く灯りの文化
🕯️ 現代に息づく竹灯籠 ― 芸術とまちづくりの融合
竹灯籠は、いまや“伝統行事”の枠を超えて、まちづくりの象徴になっています。
各地の祭りでは、竹の伐採からデザイン、点灯までを地域住民が協力して行い、
そのプロセス全体が“共に作るアート”として注目されています。
特に熊本の**CHIKAKEN(ちかけん)**は、竹あかり文化の旗手ともいえる存在。
彼らは2007年から全国各地で竹あかりの空間演出を手掛け、
地域の景観や歴史、季節に合わせた光のデザインを提案してきました。
彼らの理念は明快です。
「竹を切ることは破壊ではなく、再生のはじまり。」
彼らの手で竹が命を吹き返すたび、町は光に包まれ、人の心が動く。
その光景は、竹灯籠が「環境活動」でもあり「芸術」でもあることを教えてくれます。
竹を媒介に、自然と人、アートと暮らしが共鳴する――
それが、現代の竹灯籠文化の新しいかたちです。
🌿 学びの場としての竹灯籠 ― 子どもたちと灯す未来
竹灯籠づくりは、学校教育にも取り入れられるようになっています。
たとえば大分県や熊本県では、小中学校の総合学習の一環として、
「竹を切る・灯籠を作る・火を灯す」体験授業が行われています。
授業ではまず、“竹林整備”の意義を学ぶところから始まります。
竹は繁殖力が強く、手入れを怠ると森や農地を覆ってしまう。
だからこそ、人の手で間引き、活かすことが大切なのです。
その後、子どもたちは竹にドリルで模様をあけ、
自分だけの竹灯籠を完成させます。
夕方になると、校庭いっぱいに並ぶ小さな灯り。
火を灯した瞬間、子どもたちの顔が一斉にほころびます。
「きれい…」「消えないでほしいね」――
その言葉には、ものを大切にする心が自然と宿っている。
竹灯籠は、命・自然・人のつながりを学ぶ教材でもあるのです。
💫 灯籠の進化 ― 光とテクノロジーの融合
竹灯籠の魅力は“素朴さ”にありますが、
同時に、現代技術との融合も進んでいます。
たとえば、LEDライトを使用した竹灯籠。
火を使わないため安全で、風や雨にも強く、長時間点灯が可能です。
また、光の強弱や色彩をプログラム制御し、音楽と連動させる試みも登場。
“静の美”と“デジタル演出”が共存する空間は、まるで竹そのものが呼吸しているよう。
近年では、環境負荷を抑える目的でLEDや再利用キャンドルを用いる祭りも増えています。
「自然の灯り」を大切にしながらも、**“時代に寄り添う新しい灯りの形”**が生まれているのです。
技術の進歩が進んでも、竹灯籠の核にあるのは変わりません。
それは――**「人の手で光をともす」**という原点です。
🕊️ 鎮魂の光 ― 災害を越えて灯る祈り
日本各地で行われる竹灯籠の祭りの中には、
災害の記憶を語り継ぐ「鎮魂の光」として灯されるものがあります。
たとえば兵庫県神戸市の「1.17のつどい」。
竹筒にメッセージや名前を刻み、亡くなった人への祈りを込めて灯します。
この行事は、震災から30年近くたった今も続いており、
竹灯籠の光が「記憶を未来へつなぐ炎」として根づいています。
(出典:神戸市「阪神・淡路大震災1.17のつどい」公式情報)
また、東北各地では「竹あかり」「祈りの灯」などの名で追悼行事が開かれています。
竹の光が雪に反射し、静かな夜を包み込む――その光景は、悲しみと希望をやさしく結ぶもの。
「光は、言葉を超えて届くもの。」
竹灯籠の光は、祈りの道具であると同時に、
**「生きていく人の力を支える象徴」**でもあるのです。
🌸 竹灯籠アートの広がり ― 世界へ向かう日本の灯り
竹灯籠の美しさは、いまや海外でも注目を集めています。
CHIKAKENをはじめとした竹あかりアーティストたちは、
台湾、タイ、フランスなどでも展示・演出を行い、国際的な評価を受けています。
海外の人々が驚くのは、“竹という素材の持つ柔らかさ”。
金属やガラスとは違い、光が呼吸しているように感じると言います。
日本では「侘び寂び」と呼ばれる静けさの美学。
竹灯籠はその象徴として、“日本的光文化”の代表になりつつあります。
🌾 光がつなぐ人々 ― ボランティアという灯りの輪
竹灯籠祭りには、毎年多くのボランティアが参加します。
竹を切る人、穴をあける人、並べる人、そして灯す人。
たとえば熊本の「みずあかり」では、延べ5,000人以上が毎年ボランティアとして関わります。
(出典:熊本暮らし人まつり実行委員会)
彼らにとって、竹灯籠は“作業”ではなく“つながり”の象徴。
仕事帰りの会社員、家族連れ、学生――みんなで竹を囲み、火をともす。
その瞬間、町はまるでひとつの生命体のように息づきます。
竹灯籠は、地域の人の“心の灯り”を呼び覚ます祭りでもあるのです。
📸 光を撮る人々 ― 写真が残す「一夜の奇跡」
竹灯籠の祭りには、毎年多くの写真家が訪れます。
炎の揺らぎを撮ることは難しくも、魅力的な挑戦。
おすすめの撮影ポイントはこちら👇
🌕 点灯直後
空の青と灯りの金が交わる瞬間は、最も美しい時間。
🌿 風のある夜
炎がそよぎ、竹の影が揺れる写真が撮れる。
📸 光を絞り、露光を長めに
ろうそくの灯りは弱いため、2〜3秒の露光で“光の流れ”を表現できる。
🎐 人の影をあえて入れる
灯籠だけでなく、人の温度がある写真が心に残る。
写真もまた、灯籠がもたらす“光の記録”。
一枚の写真が、次の誰かの心に火を灯すのかもしれません。
💫 未来へのバトン ― 灯りをつなぐ人たち
竹灯籠の祭りは、いつか消える一夜限りの光。
けれど、その光を見た人の心には、確かに何かが残ります。
熊本のアーティストたちは言います。
「灯すことは、想いを伝えること。」
竹を切る音、ろうそくの匂い、火をともす瞬間のざわめき。
そのすべてが、記憶の奥で静かに燃え続けます。
そして次の世代がまた竹を切り、灯りをともす。
“消えるからこそ、美しい”――それが竹灯籠の哲学。
🌕 おわりに ― 光の声を聴く
夜が深まり、灯籠の炎が小さくなるころ、
風がひとつ吹き抜け、竹がかすかに鳴ります。
それはまるで、竹自身が何かを語っているよう。
「また来年も灯してほしい」と。
竹灯籠の光は、過去を見つめながら未来を照らす。
祈りも再生も、そして希望も――
この一筋の光に、すべてが溶け込んでいるのです。



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